ネパールでは「OKバジ」と呼ばれている この呼び方は、垣見氏がネパールに入って暫くの間、言葉が通じないので、 何をいわれても「OK,OK」と言っていたために付けられたあだ名で、「バジ」は おじいさんという意味。 1993年から現在までネパール・パルパ県ジャルパ郡ドリマラ村に単身で定住し、ザック一つを背負って、年間約200の村々を歩いている。生活費は月千円。


1939年:東京生まれ
早稲田大学商学部卒業
私立「順心女子学園」の英語教師を23年間務める


垣見一雅


1990年:ヒマラヤトレッキングの最中に大雪崩に遭い、九死に一生を得たが、垣見氏のザックを背負ってくれたネパール人のポーターは行方不明になった。 (この時から、垣見氏はネパールにある種の借りを感じ始めたという) 

1992年:このポーターの実家があるネパール、パルパ地方を訪問。 その地域のあまりの貧困さに驚く。

1993年:教職を辞し、先祖から受け継いだ土地を売却して、単身で、人口350人、家屋54軒、電気、水道無し、ジャングルトイレ、どこにでも落ちている豚、犬、牛の糞。たった一つの暗いランプといろりの灯りの中で生活をする、ドリマラ村に定住をする。 これ以降現在まで、政治情勢不安の中、東パルパ地方22村を中心に、村落開発委員会、地方のNGOとも協力し、食料、水、衣類、学校の建設、補修、机と椅子、文具、奨学金、識字教育、医療,スポーツ等あらゆる分野の支援活動の、日本とのパイプ役として活動し続けている。 
(日本の支援団体約20、個人協力者、300人)

垣見氏の考えの基本 
私はボランティアではない。いわんや支援の専門家でもない。只できることを村人たちと一緒にしているだけである。 村々をまわる。どこも貧しい村々で、いろいろな問題が起きている。 そんなとき、どうしても協力をしてくれる人達が必要だ。私一人では何もできない。私には何もない。自分にできることは、日本からの善意を蒔くことだけである。村人たちの手を借りて、この善意の花を咲かさせてもらう。そのきっかけをホンノチョット作らせてもらうだけだ。

詳しくは OKバジ(垣見氏)のホームページをご参照下さい。
http://www.tihal.com/OK/


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